ブラタモリ#86黒部ダム「黒部ダムは、なぜ秘境につくられたか?」
長野県大町市にある「扇沢駅」、標高1425m。
黒部ダムに行く、長野県側の玄関口。ここからトンネルの中を
トロリーバスに乗り、黒部ダムに向かう。
2回にわたって解いていく。
黒部ダムは、昭和30年代の戦後日本での一大事業と言われている。
水力発電用の巨大ダムの建設は、関西方面の逼迫した電力事情があったため。
工事期間7年。作業員延べ1000万人。総工費513億円。昭和38年完成。
★黒部峡谷は、3000m級の山々に挟まれた深い谷。急流の黒部川。
厳しい自然が人間の行く手を阻んでいた。ダムの建設予定地に行くには、
崖沿いの細い道を行くしかない。岩をくりぬいて工事用の道を作った。
★黒部ダムに行くルート。(立山黒部アルペンルート)
今や秘境観光で多くの観光客を集める立山黒部アルペンルートは、トロリーバス、
徒歩、ケーブルカー、ロープウェイを使って、何回も乗り換えながら、
行くところ。
★トロリーバスは、道路の上の電線からとった電気で走る乗り物。現在
日本では、ここしか乗ることはできない。トンネルの中なので、排気ガスは
よくない。見た目はバスの形をしているが、電車。鉄道の免許が必要。
しかし、来年11月に廃止され、電気自動車に代わる。
★黒部トンネルは、ダム工事のために掘られたトンネル。
想像を絶する難工事で、苦難の連続だった。
「破砕帯」と呼ばれる場所に遭遇。岩盤が細かく砕けて砂のようになった
柔らかい土。崩れやすいうえにそこに溜っていた大量の冷たい地下水が
流れ出し行く手を阻んだ。約80mぐらいある。今も大量の水が湧き出る。
破砕帯に遭遇するまでは、1日9mぐらい進んだが、そこは突破するのに
7か月かかった。1日約40センチ、まったく掘れない時もあった。
80センチの破砕帯を突破するのに、総延長500mもの水抜きトンネルが
作られた。
★着工から1年7か月後、貫通した。長野県側から、これでようやく大量の
資材を運べるようになり、ダム建設が軌道に乗った。
富山県の立山越えのルートでは、人力で運んできた機材を現地で組み立てた。
ダムは今、長野県側から、トロリーバスで16分。
★終点でバスを降り、220段の階段をのぼり、ダムを見下ろせる場所に。
まさに絶景。186mの高さ。62階建てのビルに相当する日本一の高さ。
横幅は、約500m。アーチ式ダム。水量は、東京ドーム約160杯分。
2億トンの水。広くて、大きくて、すごいダム。
日本の高度成長を支えた。
★ダムの発電量を決めるのは、「落差」。
ダムのすぐ近くに発電所を作る方法もあるが、黒部ダムは、取水口から
約10キロ下流の発電所に水を送るという方式をとっている。
10キロ下流にすることにより、545mの落差ができる。
この大きな落差が、黒部ダムを秘境に作った理由の一つ。
★また、水量との関係もある。水が豊富で、大体1年間に4~5回入れ
替わる水(8億トン)がある。
黒部川の流域では、元々水力発電が盛んに行われていた。その上流に
黒部ダムが完成し、下流の発電所にも水が安定的に供給され、発電量が
大幅にアップ。今では、黒部ダムの水を利用する発電所は、10か所に
及ぶ。発電量も23万KWから、約90万KWに増えた。
★ダムが作られた理由
①落差を得る ②大きな水瓶を持つ。
黒部ダムを地形から見ていく。
★どうして、上流が広く、水をためる最適な場所があり、下流が狭いか。
この地形がどのようにして出来たのか。遊覧船に乗り、両岸の地質を調査。
○上流側の地質。・・黒部湖は、両岸が花崗岩で出来ている同じ岩。
同じ地質だと、水の流れは、平等に削り、地形が幅広くなる。
地質が異なると、柔らかい岩で出来た岸ばかりを侵食して川幅は、
広くならない。
○下流の狭い地形に行ってみる。・・珪長岩を採取。ダムの下流は、
様々な種類の岩が混じりあっている。川は、削りやすい岩と岩の間を
流れ、深くて、急こう配の谷を作っている。ダムに最適な地形。
★黒部ダムは、地形を考えて、最適で、理想な場所に作られた。
理想な場所ほど、工事は難しい。黒部ダムが秘境に対して、どんな
ふうに作られたか。次回は、その秘密に迫る。
※黒部ダムは、一度訪れたことがある。アルペンルートすべてには、
行っていない。ダムの規模は、我々を圧倒する。どのようにして作られたか。
いろいろ知ることが出来て、大変興味深い。日本人の知恵と、技術、作業員の
とてつもない忍耐と、努力が、完成させたと思う。ダムの上の道の脇には、
工事で犠牲になった人たちの碑があり、胸を痛める。
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黒部ダムに行く、長野県側の玄関口。ここからトンネルの中を
トロリーバスに乗り、黒部ダムに向かう。
2回にわたって解いていく。
黒部ダムは、昭和30年代の戦後日本での一大事業と言われている。
水力発電用の巨大ダムの建設は、関西方面の逼迫した電力事情があったため。
工事期間7年。作業員延べ1000万人。総工費513億円。昭和38年完成。
★黒部峡谷は、3000m級の山々に挟まれた深い谷。急流の黒部川。
厳しい自然が人間の行く手を阻んでいた。ダムの建設予定地に行くには、
崖沿いの細い道を行くしかない。岩をくりぬいて工事用の道を作った。
★黒部ダムに行くルート。(立山黒部アルペンルート)
今や秘境観光で多くの観光客を集める立山黒部アルペンルートは、トロリーバス、
徒歩、ケーブルカー、ロープウェイを使って、何回も乗り換えながら、
行くところ。
★トロリーバスは、道路の上の電線からとった電気で走る乗り物。現在
日本では、ここしか乗ることはできない。トンネルの中なので、排気ガスは
よくない。見た目はバスの形をしているが、電車。鉄道の免許が必要。
しかし、来年11月に廃止され、電気自動車に代わる。
★黒部トンネルは、ダム工事のために掘られたトンネル。
想像を絶する難工事で、苦難の連続だった。
「破砕帯」と呼ばれる場所に遭遇。岩盤が細かく砕けて砂のようになった
柔らかい土。崩れやすいうえにそこに溜っていた大量の冷たい地下水が
流れ出し行く手を阻んだ。約80mぐらいある。今も大量の水が湧き出る。
破砕帯に遭遇するまでは、1日9mぐらい進んだが、そこは突破するのに
7か月かかった。1日約40センチ、まったく掘れない時もあった。
80センチの破砕帯を突破するのに、総延長500mもの水抜きトンネルが
作られた。
★着工から1年7か月後、貫通した。長野県側から、これでようやく大量の
資材を運べるようになり、ダム建設が軌道に乗った。
富山県の立山越えのルートでは、人力で運んできた機材を現地で組み立てた。
ダムは今、長野県側から、トロリーバスで16分。
★終点でバスを降り、220段の階段をのぼり、ダムを見下ろせる場所に。
まさに絶景。186mの高さ。62階建てのビルに相当する日本一の高さ。
横幅は、約500m。アーチ式ダム。水量は、東京ドーム約160杯分。
2億トンの水。広くて、大きくて、すごいダム。
日本の高度成長を支えた。
★ダムの発電量を決めるのは、「落差」。
ダムのすぐ近くに発電所を作る方法もあるが、黒部ダムは、取水口から
約10キロ下流の発電所に水を送るという方式をとっている。
10キロ下流にすることにより、545mの落差ができる。
この大きな落差が、黒部ダムを秘境に作った理由の一つ。
★また、水量との関係もある。水が豊富で、大体1年間に4~5回入れ
替わる水(8億トン)がある。
黒部川の流域では、元々水力発電が盛んに行われていた。その上流に
黒部ダムが完成し、下流の発電所にも水が安定的に供給され、発電量が
大幅にアップ。今では、黒部ダムの水を利用する発電所は、10か所に
及ぶ。発電量も23万KWから、約90万KWに増えた。
★ダムが作られた理由
①落差を得る ②大きな水瓶を持つ。
黒部ダムを地形から見ていく。
★どうして、上流が広く、水をためる最適な場所があり、下流が狭いか。
この地形がどのようにして出来たのか。遊覧船に乗り、両岸の地質を調査。
○上流側の地質。・・黒部湖は、両岸が花崗岩で出来ている同じ岩。
同じ地質だと、水の流れは、平等に削り、地形が幅広くなる。
地質が異なると、柔らかい岩で出来た岸ばかりを侵食して川幅は、
広くならない。
○下流の狭い地形に行ってみる。・・珪長岩を採取。ダムの下流は、
様々な種類の岩が混じりあっている。川は、削りやすい岩と岩の間を
流れ、深くて、急こう配の谷を作っている。ダムに最適な地形。
★黒部ダムは、地形を考えて、最適で、理想な場所に作られた。
理想な場所ほど、工事は難しい。黒部ダムが秘境に対して、どんな
ふうに作られたか。次回は、その秘密に迫る。
※黒部ダムは、一度訪れたことがある。アルペンルートすべてには、
行っていない。ダムの規模は、我々を圧倒する。どのようにして作られたか。
いろいろ知ることが出来て、大変興味深い。日本人の知恵と、技術、作業員の
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2017-10-09 15:23
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