ブラタモリ#85高知「高知の町は、なぜ龍馬を生んだ?」
タモリさんは、始めに高知県の桂浜にある坂本龍馬像の前に来ている。
龍馬像は、台座を含めて13、5mの高さがある。
★坂本龍馬(1835-1867)(天保6年ー慶応3年)は、
幕末に「亀山社中」(貿易、海運、航海訓練、英語教育など
商社や海軍の役割をあわせもつ組織)を結成。
・貿易や海外への渡航が制限されていた時代に、いち早く世界を志した。
・江戸時代の高知の町づくりと、その町を成り立たせている地形を見て、
龍馬がどうして日本を動かすことのできる英雄になったのかということを
解き明かしていく。
★高知城
初代土佐藩主・山内一豊が築城。高知の城下町は、山に取り囲まれた
場所にある。龍馬が生まれた場所は、城の西側。
★城から1キロの商店街へ
道路の一部が盛り上がっている所がある。70年ほど前までは、幅18mの
堀があり、そこを埋め立てたため、橋のあった所が盛り上がっている。
江戸時代の図では、東西に流れる2本の川が外堀となっており、
その川の間に 南北の堀が設けられている。
南北の堀は、身分ごとに住む場所を区別していた。
城に近い方は、上級武士。下級武士や町人は、堀で隔てられたその外側に
住んでいた。身分による分け隔ては、厳しかった。
★龍馬は、外側で生まれた。身分による違いが大きくあり、怒りとかが
だんだん増幅されて、幕府を倒すエネルギーにつながっていった。
★堀は、太平洋とつながり、物流拠点。
つまり、高知の城下町は、堀で太平洋に出られる。城下町は、城からは
海が見えないが、堀が太平洋とつながっている。
龍馬は、城下町にいながらにしていつも海を身近に感じていた。
高知は、天然の良港でもある。
★龍馬とゆかりが深い場所・・種崎
・種崎は、造船所があり、船づくりにの関係ある人、廻船問屋が多く住んでいた。
ある廻船問屋の家には、龍馬との接点を示す証拠が残されている。
龍馬は暗殺される1か月ほど前、ライフル銃を土佐藩に購入してもらうため、
土佐に帰郷した。最後に滞在した場所がこの家に当時のまま残されている。
(非公開・・案内してくれた方も初めてという)
・種崎には、龍馬が見たとされる世界地図がある。持ち主は廻船問屋を
営んでいて、龍馬に世界の話を語っていたという。
★地形や水路によって太平洋を身近に感じていた龍馬。さらに、高知で
外国の情報までも得ていたことが、世界への志を育んだ。
★天然の良港である高知の地形はどのようにできたか。
太平洋からの風よけになる縦長の山の成り立ちは?
この海岸は、わずか10数メートルほどの狭い範囲に、様々な岩が見られる
珍しい場所。
・溶岩(緑色岩)が、突き出ている。
・チャート(放散虫)が、海の底にあった。
・緑色頁岩(陸からの火山灰が風で運ばれて、海の底にたまった)
・黒色頁岩(川などによって運ばれた陸からの泥)
海岸にある岩は、どれも元々海の底に積み重なったもの。これらの地層が
海のプレートによって運ばれ、大陸のプレートに潜り込むときに、
押し上げられた。つまり高知の大地は、プレートによって押され続けている。
プレートの押し付ける力によって風よけの山が出来、高知の全体的な地形も
出来上がっている。
★衝立のようになった縦長の山は、陸側から流れる川に侵食され、平地と
太平洋を結ぶラインが出来た。この奇跡的な地形が海運の恵みをもたらした。
※この地層は、プレートテクトニクスという理論を実証した。
プレートテクトニクスというのは、複数の動くプレートは、地球の表面を
覆っているという理論。
日本は、ユーラシア、北アメリカ、太平洋、フィリピン海という4つの
プレートがある。高知の海岸の地層を調べたことがきっかけで、
プレートが運んだ岩石が、日本の土台を作ったと証明された。
☆プレートテクトニクス理論は、1960年ぐらいのもの。
特に岩石からそれを証明するのが、むずかしかったが、これが
決定的な証拠になった。
※幕末に活躍した坂本龍馬。広い視野をもって官軍、幕軍双方に人脈を
持っていたが、明治維新になるほんの少し前に暗殺された。未だに犯人は
諸説あり、わかっていない。龍馬がなぜ生まれたか。生まれた家の身分、
育った環境が大きく影響しているというのが分かる。国のかじ取りを
する人たちは、100年の計をもってと言われる。コンピューター時代に
なって何もかも早くなり、100年が、10年ぐらいの速さで進み、人々は、
考えてじっくりと結論を出すことができなくなったと思う。
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龍馬像は、台座を含めて13、5mの高さがある。
★坂本龍馬(1835-1867)(天保6年ー慶応3年)は、
幕末に「亀山社中」(貿易、海運、航海訓練、英語教育など
商社や海軍の役割をあわせもつ組織)を結成。
・貿易や海外への渡航が制限されていた時代に、いち早く世界を志した。
・江戸時代の高知の町づくりと、その町を成り立たせている地形を見て、
龍馬がどうして日本を動かすことのできる英雄になったのかということを
解き明かしていく。
★高知城
初代土佐藩主・山内一豊が築城。高知の城下町は、山に取り囲まれた
場所にある。龍馬が生まれた場所は、城の西側。
★城から1キロの商店街へ
道路の一部が盛り上がっている所がある。70年ほど前までは、幅18mの
堀があり、そこを埋め立てたため、橋のあった所が盛り上がっている。
江戸時代の図では、東西に流れる2本の川が外堀となっており、
その川の間に 南北の堀が設けられている。
南北の堀は、身分ごとに住む場所を区別していた。
城に近い方は、上級武士。下級武士や町人は、堀で隔てられたその外側に
住んでいた。身分による分け隔ては、厳しかった。
★龍馬は、外側で生まれた。身分による違いが大きくあり、怒りとかが
だんだん増幅されて、幕府を倒すエネルギーにつながっていった。
★堀は、太平洋とつながり、物流拠点。
つまり、高知の城下町は、堀で太平洋に出られる。城下町は、城からは
海が見えないが、堀が太平洋とつながっている。
龍馬は、城下町にいながらにしていつも海を身近に感じていた。
高知は、天然の良港でもある。
★龍馬とゆかりが深い場所・・種崎
・種崎は、造船所があり、船づくりにの関係ある人、廻船問屋が多く住んでいた。
ある廻船問屋の家には、龍馬との接点を示す証拠が残されている。
龍馬は暗殺される1か月ほど前、ライフル銃を土佐藩に購入してもらうため、
土佐に帰郷した。最後に滞在した場所がこの家に当時のまま残されている。
(非公開・・案内してくれた方も初めてという)
・種崎には、龍馬が見たとされる世界地図がある。持ち主は廻船問屋を
営んでいて、龍馬に世界の話を語っていたという。
★地形や水路によって太平洋を身近に感じていた龍馬。さらに、高知で
外国の情報までも得ていたことが、世界への志を育んだ。
★天然の良港である高知の地形はどのようにできたか。
太平洋からの風よけになる縦長の山の成り立ちは?
この海岸は、わずか10数メートルほどの狭い範囲に、様々な岩が見られる
珍しい場所。
・溶岩(緑色岩)が、突き出ている。
・チャート(放散虫)が、海の底にあった。
・緑色頁岩(陸からの火山灰が風で運ばれて、海の底にたまった)
・黒色頁岩(川などによって運ばれた陸からの泥)
海岸にある岩は、どれも元々海の底に積み重なったもの。これらの地層が
海のプレートによって運ばれ、大陸のプレートに潜り込むときに、
押し上げられた。つまり高知の大地は、プレートによって押され続けている。
プレートの押し付ける力によって風よけの山が出来、高知の全体的な地形も
出来上がっている。
★衝立のようになった縦長の山は、陸側から流れる川に侵食され、平地と
太平洋を結ぶラインが出来た。この奇跡的な地形が海運の恵みをもたらした。
※この地層は、プレートテクトニクスという理論を実証した。
プレートテクトニクスというのは、複数の動くプレートは、地球の表面を
覆っているという理論。
日本は、ユーラシア、北アメリカ、太平洋、フィリピン海という4つの
プレートがある。高知の海岸の地層を調べたことがきっかけで、
プレートが運んだ岩石が、日本の土台を作ったと証明された。
☆プレートテクトニクス理論は、1960年ぐらいのもの。
特に岩石からそれを証明するのが、むずかしかったが、これが
決定的な証拠になった。
※幕末に活躍した坂本龍馬。広い視野をもって官軍、幕軍双方に人脈を
持っていたが、明治維新になるほんの少し前に暗殺された。未だに犯人は
諸説あり、わかっていない。龍馬がなぜ生まれたか。生まれた家の身分、
育った環境が大きく影響しているというのが分かる。国のかじ取りを
する人たちは、100年の計をもってと言われる。コンピューター時代に
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2017-10-02 14:02
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