ブラタモリ#64神戸の港「神戸はなぜ、1300年も良港なのか?」
兵庫県にある神戸港は、今年で西洋に向けて開港してから150年目。
740年ぐらいから港として使われ、今もずっと重要な港として
続いてきている。
神戸港は、現在も年間200万人が利用する日本の海の玄関口の一つ。
神戸は、山が近く、港から山まで3キロぐらい。船で入ってきた時に
正面に山が見える港ってない。神戸港には、年間およそ3万5千隻の船が来る。
今まで入港した船で一番大きな船は、16万8666トン。
神戸港の客船ターミナルは、海面11mの船まで接岸できる。(水深がある)
どうして、13O0年も良港なのか。タモリさんは、次の条件をあげた。
良港の条件は、水深がある、囲まれていて波が静か、荷物の輸送に便利、
大都市に近い。
これらの条件に当てはまっているのか、ブラブラ歩きながら見ていく。
1300年前からは、どうなってきたのか。
★大輪田の泊り・・神戸の最初の名前。
平清盛が目をつけ、中国宋との貿易の拠点とした。(さすが、清盛)
★兵庫津・・江戸時代はこう呼ばれた。
江戸時代には、発展し、幕末には2万人が住んでいた。かつては内海の
あたりが中心地で、現在でも「船大工」「磯之町」という地名が残っている。
当時の「兵庫津」は繁栄しており、「西国街道」が、港近くを通るように
直角に曲げられ、港と、陸の道に接点を持たせた。水路と、陸路が直結し、
日本有数の港町になった。兵庫津が出来るまでは、街道は、今より山側を
通っていた。
★1300年栄えた理由を立地から探ってみる。六甲山地へ。
六甲山地(標高211m)の西の端へ。ロープウェイで上る。
・六甲山地は、海にせり出していて、東西を陸路で行き交う人は、絶対に
ここを通り、しかも畿内の境(畿内とは、港の周辺の特別な場所)であった。
神戸港の栄えた最大の理由は六甲山地があったから。
・六甲山地は、海に対してナナメにそびえている。六甲山地と、淡路島は
繋がっていた。地殻の変動で入ったたくさんの亀裂がもろくなり、崩れて
六甲山地は、淡路島と分断された。明石海峡は、このようにして出来た。
・明石海峡が出来ると狭い所を流れる潮流が速くなり、速くなると、そこにある
砂がどんどん流れていって向こうに溜まり、「砂嘴」ができる。これが
「和田岬」である。「砂嘴(さし)」とは、岸近くの海流で運ばれた砂が、
くちばし状に堆積してできた地形。
・水深があるのは、なぜか。
六甲山地から流れる川は、小さい川のため、土砂があまりたまらないため、
海は、深い。大阪は、淀川のように大きな川が流れるので、土砂がたまり、
水深が浅い。
★タモリさんが言われた良港の条件に、水深。六甲山地が風を防ぎ波静か。
和田岬があるために明石海峡の潮流が抑えられる。荷物の輸送に便利な街道が
ある。大都市に近い。タモリさん、大正解。けれども、良港として、
これらのほかにもう一つ航海に大事なものが、神戸にはあるという。
★良港の秘密。
新神戸駅の山の中に世界の船乗りが愛した「水」がある。
「神戸の水」は、赤道を越えても水が腐らない。5年経っても腐らない。
物質は、有機物と無機物とあるが、有機物が含まれるほど腐りやすくなる。
つまり、不純物が少ない。神戸の水は、有機物が殆ど含まれていない。
神戸の水は、ミネラルを含む度合い(硬度)が、1リットルあたり、30mg
の軟水。(120mg以上が、硬水)。
程よいミネラル(カルシウムや、マグネシウム)の量で、おいしい。
腐らない、おいしい理由は、六甲山地が急峻で、川の流れが速いため、水に
ミネラルや、有機物が溶け込みにくい。
★明治時代に「水を守る」仕組みが造られた。
急峻な川は、大雨が降ると、増水し、貯水池の中に、大量の土砂が流れ込む。
これを防ぐため、水の流れを変える二つのゲートが設けられ、大雨の時は、
貯水池側を閉じて、入らないようにしている。
明治の人の知恵で守られてきた。
※神戸の港が、1300年経っても良港であり続ける理由がよくわかった。
自然の条件が無ければ、良港にはならないが、人々がそれをうまく生かし、
利用している。
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740年ぐらいから港として使われ、今もずっと重要な港として
続いてきている。
神戸港は、現在も年間200万人が利用する日本の海の玄関口の一つ。
神戸は、山が近く、港から山まで3キロぐらい。船で入ってきた時に
正面に山が見える港ってない。神戸港には、年間およそ3万5千隻の船が来る。
今まで入港した船で一番大きな船は、16万8666トン。
神戸港の客船ターミナルは、海面11mの船まで接岸できる。(水深がある)
どうして、13O0年も良港なのか。タモリさんは、次の条件をあげた。
良港の条件は、水深がある、囲まれていて波が静か、荷物の輸送に便利、
大都市に近い。
これらの条件に当てはまっているのか、ブラブラ歩きながら見ていく。
1300年前からは、どうなってきたのか。
★大輪田の泊り・・神戸の最初の名前。
平清盛が目をつけ、中国宋との貿易の拠点とした。(さすが、清盛)
★兵庫津・・江戸時代はこう呼ばれた。
江戸時代には、発展し、幕末には2万人が住んでいた。かつては内海の
あたりが中心地で、現在でも「船大工」「磯之町」という地名が残っている。
当時の「兵庫津」は繁栄しており、「西国街道」が、港近くを通るように
直角に曲げられ、港と、陸の道に接点を持たせた。水路と、陸路が直結し、
日本有数の港町になった。兵庫津が出来るまでは、街道は、今より山側を
通っていた。
★1300年栄えた理由を立地から探ってみる。六甲山地へ。
六甲山地(標高211m)の西の端へ。ロープウェイで上る。
・六甲山地は、海にせり出していて、東西を陸路で行き交う人は、絶対に
ここを通り、しかも畿内の境(畿内とは、港の周辺の特別な場所)であった。
神戸港の栄えた最大の理由は六甲山地があったから。
・六甲山地は、海に対してナナメにそびえている。六甲山地と、淡路島は
繋がっていた。地殻の変動で入ったたくさんの亀裂がもろくなり、崩れて
六甲山地は、淡路島と分断された。明石海峡は、このようにして出来た。
・明石海峡が出来ると狭い所を流れる潮流が速くなり、速くなると、そこにある
砂がどんどん流れていって向こうに溜まり、「砂嘴」ができる。これが
「和田岬」である。「砂嘴(さし)」とは、岸近くの海流で運ばれた砂が、
くちばし状に堆積してできた地形。
・水深があるのは、なぜか。
六甲山地から流れる川は、小さい川のため、土砂があまりたまらないため、
海は、深い。大阪は、淀川のように大きな川が流れるので、土砂がたまり、
水深が浅い。
★タモリさんが言われた良港の条件に、水深。六甲山地が風を防ぎ波静か。
和田岬があるために明石海峡の潮流が抑えられる。荷物の輸送に便利な街道が
ある。大都市に近い。タモリさん、大正解。けれども、良港として、
これらのほかにもう一つ航海に大事なものが、神戸にはあるという。
★良港の秘密。
新神戸駅の山の中に世界の船乗りが愛した「水」がある。
「神戸の水」は、赤道を越えても水が腐らない。5年経っても腐らない。
物質は、有機物と無機物とあるが、有機物が含まれるほど腐りやすくなる。
つまり、不純物が少ない。神戸の水は、有機物が殆ど含まれていない。
神戸の水は、ミネラルを含む度合い(硬度)が、1リットルあたり、30mg
の軟水。(120mg以上が、硬水)。
程よいミネラル(カルシウムや、マグネシウム)の量で、おいしい。
腐らない、おいしい理由は、六甲山地が急峻で、川の流れが速いため、水に
ミネラルや、有機物が溶け込みにくい。
★明治時代に「水を守る」仕組みが造られた。
急峻な川は、大雨が降ると、増水し、貯水池の中に、大量の土砂が流れ込む。
これを防ぐため、水の流れを変える二つのゲートが設けられ、大雨の時は、
貯水池側を閉じて、入らないようにしている。
明治の人の知恵で守られてきた。
※神戸の港が、1300年経っても良港であり続ける理由がよくわかった。
自然の条件が無ければ、良港にはならないが、人々がそれをうまく生かし、
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2017-02-20 16:33
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